YOU CAN (NOT) REDO.

厨二はじめました。

(ss)ギブソンタック②


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『次はァー、西ィ園寺ィ〜西ィ園寺ィ〜』車掌訛りが鼻につくアナウンスが水を差した。彼女は毎日この駅で降り、僕は次の新西園寺駅で逆向きの急行電車に乗り換えて家路につく。この至福のひとときも終わるのだ。僕は文庫本を閉じて、彼女の解れひとつないギブソンタックのてっぺんから、丁寧に磨かれたローファーの先まで、愛しむように目で撫でた。僕の目元は前髪ですっぽり覆われているので、視線が悟られる心配はない。(文庫本を開くのは、彼女と同じ行為を行うことで心身の同化を、文庫本という"物陰"から"盗み見る"ことで背徳感の増幅をはかるためだ。)

 

電車は次第に速度を落とし、大袈裟な息を吐いて車輪を止めた。『西園寺ィ〜西園寺ィ〜』彼女が肩にかけた革の通学鞄に文庫本をしまいながらコツコツと"歩いてくる"。私は決まって彼女が寄りかかっている角の斜め前に座るので、ここが最も彼女と接近するタイミングだ。簾のような前髪の隙間を縫って、彼女のグレーのスカートと真っ白な太腿の境界を垣間見た。全身中の血管という血管が破裂するほど音を立てて脈打って、呼吸は浅く、肺の奥の熱くなった空気は閉じ籠ったまま熱膨張を続けている。一歩、また一歩と彼女が近づいてくるたびに酷くなって、意識が飛んでしまいそうだった。

 

『次はァー、吉田町ゥ〜吉田町ゥ〜』ハッと我にかえると、3駅ほど乗り過ごしていた。アンダーシャツが汗でびしゃびしゃになって、肌にべったりと貼り付いている。ふと、膝に寝かせた通学鞄に視線を落とすと、何やら見慣れない、でも見覚えのある携帯電話を乗せていた。決して新しくはないであろう機種なのに、傷ひとつない純白の折り畳み式の携帯電話が、手垢でどろどろなった通学鞄のうえで、行儀よく座っている。僕は、何食わぬ顔を作って、さっと汚れた通学鞄の中に携帯電話を滑り込ませた。

 

自分の部屋に入ると、カギをかけて鞄から"彼女"の携帯電話を取り出した。電車の中で、何回か取り出していじくっていたのを見たことがある。携帯電話を取り出した彼女は、いつもなにか文字を打っているようだった。ただ、彼女の言葉が詰まったこの匣を開けて良いものか、という難題だけが、とんでもなく頭を悩ませた。正しい答えは決まっていたのだが、その証明が出来なかった。いや、したくなかった。米粒ひとつも喉を通らず、水を飲んでも喉は渇くばかりといった有り様で一晩中のたうち回って、朝を迎えてしまった。計画通りに。正しい答えは決まっている。この匣を開かないまま、駅の忘れ物センターにすぐに届けに行くことだ。だが、不眠で悩みきった(たかだか一晩ぽっちだが)という苦難は僕の思ったとおりに格好の免罪符となり、この純白の匣に手をかけるよう僕を唆した。(続く)