YOU CAN (NOT) REDO.

厨二はじめました。

納豆が嫌いだ。

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一般に、嫌いな食べ物というのは好き好んで食せないもののことだ。大人になれば口に入れられないものなどほぼなくなり、各々ににうまい距離感をとって付き合っていくものだろう。パクチーが嫌いなのであればエスニック料理を避ければ事足りる。そこにヘイトの感情は存在しない。だが、私が納豆に抱く感情は、実家の母親が舛添に抱くものと同じくヘイトそのものである。まずビジュアルがいただけない。謎の粘り気を孕んだ茶色い粒の集合体。カレーよりウンコっぽいし、なんからウンコよりウンコ。なんか中国の虫の卵みたいな、ひと粒ひと粒が生きているような禍々しさもあり、全部こっちをみてるイクラとか、シン・ゴジラのラストシーンでゴジラの尻尾にこびり付いてる無数のクリーチャー風ウンコよりもまがまがしいオーラを放っている。次にスメルが無理。鼻をつくそのスメル、ウンコである。納豆が給食にでた日の昼休みなど目も当てられない、もとい、鼻孔も開けない。ウンコ戦争でもあったのかと疑いたくなるような独特なオリエンタル・スメル。控えめに言って超臭い。人間に譬えると臭くて汚くてキモいオッサンである。そのオッサン(バナナマン日村を思い浮かべてほしい)が何故か日本国民にモテている。その事実がどうしても許容できないし、なんなら当然のように朝食に捩じ込まれている狂気。朝の情報番組の画面に映るべきは日村ではなく設楽であるように、納豆は朝食から排除されるべきであるはずだ。納豆では清々しい朝を迎えることができない、という当たり前の事に世の中が気付いてくれないのが非常に歯痒いし、この納豆大正義という謎の同調圧力が、私の納豆ヘイトの根源にある。

この記事を投稿するにあたり、バナナマン日村で検索をかけたのだが、29歳の女子アナと付き合っているそうだ。クソ羨ましい。今日も世界は狂気で溢れている。